『日本紙幣史アルバム』【コイン・アルバム・収納】【通販・販売】

■表紙素材:塩化ビニール(ファイル17枚) ■アルバム寸法(約):縦26.5×幅21.5×厚さ2cm、重さ750g ■お届けは受注から約2ヵ月後。

■発送手数料は1点につき別途648円(税込)をお申し受けます。

「貨幣」商品一覧にもどる『日本紙幣史アルバム』 大正時代発行の政府紙幣から庶民の憧れだった 聖徳太子の一万円まで名札44枚を収蔵。

表裏に印刷された美しい図柄や時代背景を物語る 文言をじっくりご鑑賞ください。

遠い昔の思い出や古き日々への郷愁を誘う逸品 ■稀少紙幣の魅力といえば、表面の歴史的偉人の肖像や堂々たる建造物、そして、裏面の美しい紋様などをご鑑賞することに違いありません。

両面鑑賞仕様の『日本紙幣史アルバム』は大正時代の名札から、高度経済成長期の躍動を伝える懐かしい戦後紙幣まで44枚を納めた逸品。

抜き出してご覧いただくことができ、一枚一枚のフィルムカバーは分かりやすく名称が記されています。

もちろん、過去にご紹介した額装収蔵の紙幣より上質なものを厳選しました。

■第一次世界大戦が勃発した大正時代は銀価格の急騰により、銀貨と等価交換を約束する大和朝廷の政治家・武内宿禰の『大正兌換銀行券1円(アラビア数字1円)』が発行されました。

また、初の政府紙幣『大正小額紙幣50銭・20銭・10銭』の圧倒的な稀少性にも注目です。

■昭和初期の紙幣は激動の時代を伝えます。

関東大震災や世界恐慌に伴い、乱発された簡易券を回収するため、政府は兌換銀行券整理法を施行。

平安京造営に尽力した和気清麿の『兌換券10円(1次10円)』及び、学問の神様・菅原道真の『同5円(1次5円)』が誕生します。

しかし、金融引き締め政策は長くは続きません。

戦渦へ突入していく中、再び小額政府紙幣の発行を余儀なくされるのです。

この時期は紀元二千五百九十八年の皇紀が記された『政府紙幣50銭(富士桜50銭)』や天皇軍の勝利の象徴・金鵄が舞う『同(靖国50銭)』のように軍国主義が強いのが特徴です。

■戦後紙幣では昭和を通じて常に最高額面に採用された聖徳太子の紙幣が光ります。

本アルバムにはGHQの命令で凹版印刷で刷られた『日本銀行券A号100円(4次100円)』を収蔵。

この一枚は新円を示す赤色の桜瑞雲が中央下部に加刷されました。

もちろん、庶民には高嶺の花だった『B号1000円』『C号5000円』『C号1万円』も納められています。

このほか、明治の元勲・岩倉具視の『B号500円』や財務の神様として有名な高橋是清の『B号50円』の価値は格別。

どちらも透かし入りの高度な図柄となっています。

そして、初代内閣総理大臣・伊藤博文の『C号千円』の時代になると、高度経済成長期の記憶が鮮明に蘇ってくることと存じます。

■さらに本アルバムには、戦中、占領地で流通した軍票11枚を収蔵。

「THE JAPANESE GOVERMENT」の文字と海外の建造物の珍しい図柄に目を奪われます。

これだけ稀少な紙幣を一堂に集めることは普通ではまず不可能と思われます。

ぜひ表裏を隈無くご鑑賞いただき、心躍る思いをご体験ください。

拝めるだけで幸せだったこのご尊顔  長年、お札の代名詞として親しまれてきた聖徳太子。

終戦直後、GHQ(連合国最高司令部)は政治家の肖像を禁じますが、例外的に認めたのが平和の象徴・太子でした。

以来、常に最高紙幣額に採用され、日本銀行券の顔を務めてきたことはご存知の通りです。

日銀から25億円が投入され、千円札が登場したのは、昭和25年のこと。

当時の物価はコーヒー50円、煙草(缶入りピース)50円、銭湯10円、封書8円、はがき2円…。

大卒者の初任給は平均すると約8千円ほどでした。

単純に比較することは難しいですが、当時の千円は現在と比べ、10〜15倍程度の価値があったと考えられています。

また、1万円札が発行されたのは昭和33年。

石原裕次郎の映画がヒットを続け、ロカビリーが大流行していた当時。

東京タワーの完成と同じ年にデビューを果たします。

東京都内に出回った枚数は約17万枚で、当日の新聞は「庶民にとっては高嶺の花。

ボーナス袋には飛び込んでこないだろう」と伝えています。

余談ですが、この年に読売巨人軍に入団したのが長嶋茂雄。

その契約金は驚きの1800万円だそうです。

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